カテゴリー : 2011年 12月14日

午前授業の日。


今日は4時間目で授業は終わり。午後からは会議が3本立てというなかなかヘヴィーな日なのでした。
部員は弁当持ってきて制作していたんですが、部活も全然顔を出せず。申し訳ないねぇ…。
で、3時半頃に休憩があったのでちょっと美術室に様子を見に行ったら、ちょうど1年生らが帰るところでした。
どうやら今日は女子会をやるらしい。ま、そういう息抜きも必要さね。せっかく午前中で終わったんだしなぁ。
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…はっっ!!なんか殺気を感じる…!
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見てました。。ええ、完全になんか見てましたね…。
さ、U21まであと52日です。
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部員がU21搬入日までの日めくりカレンダーを作ってます。毎日誰かが描いていて、だんだん増えていくのです。
結構頑張ってるものもあるんで、今度カレンダーを紹介しないとな。


「自分にとっては当たり前のことでも、他人にとっては驚くべきこと」


GIGAZINEこんな記事がありました。サイトより引用します。

どんなクリエイターでも、こんな感覚を知っている。
誰かが革新的なものを作る。とても美しく、優れていて、はっと思わせるようなもの。思わず茫然としてしまう。
その考え方は思いも寄らないもので、非常に驚くべきもの、しかし、完璧だ。
思うはずだ、「それは考えもしなかった。どうやって思いついたんだろう。素晴らしい!」
しばらくして、こう思う。「自分の考えはありふれている。あれだけの創造力がないんだ。」
私もよくこの気持ちにとらわれる。素晴らしい本、音楽、映画、そして素晴らしい会話……クリエイターたちがどう考え出したのかと思うと、私は畏敬の念を抱き、鼻を折られたような気分になる。
しかし、仕事をし続ける。ちょっとしたお話をする。視点を分かち合う。目を見張るような物は何も無い、ただの、私のいつも通りの考え方。
ある日、ある人が私にこんなメールを送ってきた。
「そんな考え、思いつかなかった。どうやって思いついたんですか?これはすごい!」
もちろん、私は否定し、それが何も特別ではないことを説明した。
しかしその後、私はとても重大なあることを悟った:
みんな自分自身の考えはありふれたものだと思っている。
賭けてもいい、サックスの名奏者ジョン・コルトレーンや物理学者のリチャード・P・ファインマンでさえも、その演奏や発想はとてもありふれたものだと思っていたはずだ。
つまり、私にとってはありふれたようなことでも、誰かにとっては凄いことなのではないか。
売れっ子ミュージシャンのインタビューで、今までで一番のヒットソングについて、「発売するまでは、録音する価値もないんじゃないかと言っていたんだ」と告白しているのを何度も見てきた。
我々は、自分たちの創作物に対するとき、とても腕の悪い裁判官なのだ。創作物は広く公開して、審判を受けるべきなのだ。
あなたも、共有するには普通すぎる何かを、抱えていないか?

なるほどなぁ…。改めて言われてみると、まさにそうだなと感じる。
美術ってのは、オリジナリティ、個性を発揮してこそなんだけど、その発想は、自分にとっては意外と普通だったりするんだよね。でも、他人から見たら「ええーー?!」みたいな。
だから、自信を持って自分の作品を自分の発想で作っていけばいいんです。人と違った発想でいいんです。
なんか気持ちが整理されたような気がするね。